「ぶらくり」ってなあに?

■BURAKURI.COMへようこそ

BURAKURI.COMは、まちづくりのために設立された(株)ぶらくりが運営している、和歌山市中心市街地情報のポータルサイトです。
まちや商店街のニュース、不動産情報、直営店の雑貨店JAM PICNIC、イベントやセミナーなどの情報を和歌山市のぶらくり丁から発信しています。


■BURAKURI〜ぶらくり〜は和歌山市の中心市街地を象徴する名称です

本町、ぶらくり丁、中ぶらくり丁、東ぶらくり丁、ぶらくり丁大通り、北ぶらくり丁各商店街を中心とするエリアは、和歌山県下最大の商業集積地です。和歌山市民は昔から、この6つの商店街を総称して「ぶらくり丁」と呼びならわし、親しんできました。
(株)ぶらくりという社名やBURAKURI.COM(ぶらくりドットコム)というサイト名は、この「ぶらくり丁」に由来して名づけられたものです。
(株)ぶらくりは、ぶらくり丁周辺域だけではなく、JR和歌山駅前や南海和歌山市駅前を含む中心市街地全体を事業対象エリアとしていますが、中心市街地を象徴する名称として、「BURAKURI?ぶらくり?」を社名やサイト名にしています。


■名前の由来 〜ぶらくり丁の歴史〜

ぶらくり丁は商店街として開発されて以来、今年で180年を迎え、全国的にも「伝統と歴史」のある商店街として有名です。
江戸時代・文政13年(西暦1830年)に丁内の匠町から出火した大火は、一帯を焼け野原にしてしまいました。火災に遭うまでこの通りは北横町と呼ばれ、黒田や出水あたりから、本町・万町まで通じる主要な路として利用されていました。しかし、その道幅は2メートル弱の不便な道であったため、当時一流の文化人で経済人だった和田正主(まさもて)が、町奉行所に上申し、以前の2倍の道幅にする許可を得て、実現したのがぶらくり丁の始まりです。
新しくなった道幅の両側には家屋が建ち並び、南側には干物・塩魚等の食料品店、北側には侍屋敷の下男向きの股引・脚半・半纏等の衣料品の店が軒を連ね、当時これらの店では商品を軒先から店内一杯に、"ぶらさげて飾っていた"ので、誰言うとなくぶらくり丁と呼ばれるようになったようです。 (一説)

このようにぶらくりは、和歌山の方言によって付けられた、全国でも珍しい丁名で当時の人々がいかにぶらくり丁を愛し、親しんでいたかが伺えます。
その後、第二次世界大戦によってぶらくり丁も空襲にあい、再び焼け野原になってしまいましたが、戦後昭和22年にいち早く先人達の努力により、ぶらくり丁商店街として復興し、和歌山県下最大の繁華街として発展し、現在に至っています。